算数は概念を育てる教科だ ー言葉が意味になるまでの話
- 加藤ちか

- 4月12日
- 読了時間: 6分
ここ最近、
新一年生が教室に来てくれて、
一緒にお絵かき算数を体験してもらっている。
その中で、改めて思う。
人間が言葉を操るって、
ものすごいことなんだな、と。
「たびに」の概念がないと…
新一年生の、うちの娘の話。
「一歩歩くたびに3粒の涙を流す」
その様子を絵に描いてもらったんだけど、
たぶん「たびに」がまだ十分には入っていないようだった。
1歩で3粒。
2歩でさらに3粒。
3歩でさらに3粒。
その対応関係が、
まだ自然にはイメージできていない感じ。
でも考えてみたら、
たしかにそうだ。
「たびに」という
たった3文字を読むだけで、
あるひとつの動作を1回するごとに、
別の出来事が一定の形で起きる
ということを想像できるのって、
ものすごいことなのかもしれない。
私たちは、
いつのまにか日常の中で言葉を使ううちに、
そういう概念を身につけている。
でもそれは、
最初から当たり前にできることではない。
言葉からイメージができるすごさ
別の新一年生に、
「公園でダンゴムシさんたちが遊んでいます」
という文章を絵に描いてもらった
すると、
「公園とダンゴムシを描けばいいの?」
と聞いてきた。
おぉ、なるほど、と思った。
私たち大人は自然に、
主語はダンゴムシ
場所は公園
動きは遊んでいる
といった複数の要素を
ひとつの場面として
頭の中に立ち上げている。
でも新一年生は、
まだそれを自動では
やっていないのかもしれない。
私たち大人は、
文章を読むと自然に情景を思い浮かべる。
公園という場所があって、
ダンゴムシが何匹かいて、
動きがあって、
なんとなく楽しそうな空気まで含めて、
頭の中に場面が立ち上がる。
でもそれは、
自然にできているのではない。
これまでの膨大な体験や
言語経験の積み重ねの上に成り立っている。
公園を知っている。
ダンゴムシを見たことがある。
「遊ぶ」とはどういう状態か感覚がある。
文章を、
単なる文字列ではなく
場面として受け取ることに慣れている。
そういうものが重なって、はじめて
言葉 → イメージ → 世界
という変換が起きる。
1年生なりたての彼らは、
まだその途中にいるんだと思う。

概念を理解するには具体体験の積み重ねが必要
算数は抽象的な概念を習得していく科目だ。
1、2、3
+、−、×、=
数字や記号って、
大人にとっては
意味のあるものとして見えているけれど、
子どもにとっては、
本来ただの図形にすぎない。
そこに意味が宿るためには、
数を数えた体験
分けた体験
集めた体験
比べた体験
動かした体験
描いた体験
そういう具体の積み重ねがいる。
概念は最初から頭の中にあるのではなく、
身体や感覚や具体の経験から、
あとから立ち上がってくる。
ただ、
ここでいう「体験」は、
何か特別なことをさせるという意味ではない。
すごい習い事や
特別なイベントではなくていい。
友達と外で遊ぶこと。
ごっこ遊びをすること。
散歩をすること。
絵本を読むこと。
料理や掃除、片付けなど、
日常のちょっとしたお手伝いをすること。
そういう、
ごく普通の暮らしの中の体験で
十分だと思う。
むしろ、
毎日の中で何度も繰り返される体験の方が、
子どもの中には深く残りやすい。
切る、混ぜる、分ける、運ぶ、並べる、数える
重い、軽い、多い、少ない、長い、短い
そういう具体的な感覚が、
あとから言葉や概念の土台になっていく。
さらに言えば、
その具体的な体験が、
ただバラバラに存在しているだけでは
抽象化にはならない。
いろんなことを
次々インスタントに体験させればいい、
というわけでもない。
楽しく、ゆっくり、じっくり、丁寧に味わった体験。
何度も見たこと。
触ったこと。
立ち止まったこと。
自分なりに面白がったこと。
そういう体験が、
その子の中で少しずつまとまりになって、
とパターンとして体でとらえられてきたときに、
抽象化が起きる。
具体的な体験があって、
それがある程度まとまりとして整理され、
そのまとまりを
また別の場面でも使えるようになっていく。
その先に、
深く広い抽象思考、
つまり、
考える力があるのだと思う。
体験とことばの往復が思考になる
そして、
体験するだけ終わらせるのはもったいない
大事なのは、
体験することと、
それを言葉や絵にすること。
この往復だと思う。
体験する。
イメージが生まれる。
言葉や絵で表現する。
整理される。
また次の体験が深くなる。
この循環が回り始めたとき、
バラバラだったものが少しずつつながっていく。
それが思考力になっていく。
細かな具体的な体験を積み重ねて、
それを言葉という抽象にまとめていく。
その往復の中で、
体験も理解もどんどん深くなっていく。
よく右脳と左脳をバランスよく、
という言い方をするけれど、
感覚やイメージと言葉や整理を
行き来できる状態
のことなんじゃないかと思う。
どちらかだけでは足りない。
体験だけでも、言葉だけでもなく、
その両方がつながったときに、
はじめて「わかる」が生まれる。
だから私は低学年で体験することを大事にしたい
低学年は、
ただかわいい時期なのではない。
概念が立ち上がる前。
言葉がまだ世界になりきっていない前。
そして勉強が処理になる前。
(新一年生は、まだ答えなんて気にしていない。)
(でも半年も経つと、正解かどうかを気にし始める。)
その、ものすごく大事な過渡期なんだと思う。
この時期に、
体を動かす
触る
比べる
描く
眺める
イメージする
言葉にする
ゆっくりじっくり、楽しんで体験すると、
その後の「わかる」の質はかなり変わる。
正解を出すのが早い子になることよりも、
自分の中に意味のある理解をつくれる子になること。
私はそっちのほうが、ずっと大事だと思っている。
だから教室でも、
とにかく楽しんで、
お絵描き算数で言葉を絵にし、
ゆっくり丁寧に、
具体と抽象をつなげる時間を大切にしている。
それは遠回りに見えるかもしれない。
でも本当は、これがいちばん土台になる。
体験がある子は、考えられる。
体験がない子は、覚えるしかなくなる。
この差は、あとからじわじわ大きくなる。
だから私は、
低学年の今こそ、
体験することに価値があると思っている
👉体験予約
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